Reiko Nonaka blog+photo

パリ在住の写真家、野中玲子の写真ブログ

Rouen # campagne # Normandie

あっという間に7月。フランスは、かなり普通の生活に戻ったところでバカンスモードに突入。私も3ヶ月半、自宅周辺からほとんど動かなかったので、久しぶりにどこか行きたい!と思い、ルーアンの郊外に住んでいる日仏カップルの友人宅に遊びに行った。

ルーアンから車で30分の程よい田舎で、大きな敷地にチェリーやりんごの木、野生のフランボワーズやルッコラなどがたくさん生えていて、鶏や鴨も飼っている。
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近くの森に散歩に行ってマイナスイオンをたくさん浴びたり、庭の果物や野菜を収穫したり・・生まれて初めてチェリーを収穫した♪ 自然にも土壌にも恵まれているノルマンディー地方では、すてきな田舎の生活を楽める。
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友人達は、本格的な家庭菜園を作って、フランスの野菜や果物以外に日本の野菜も育てている。枝豆、さやえんどう、しそ、梅、山椒、柚子、ごぼう、さつまいも、かぼちゃ、しいたけ、ゴーヤ、大根、イチゴ、きゅうり、トマトなどなど。こちらは、梅の実。ほんのりピンクで小さな桃みたい!IMG_0297
こちらは狩猟犬のネルソンくん。狩りをする姿が想像できないほど、お茶目で甘えん坊なネルソンくん。
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そして、庭で採れた野菜などで作ってくれる、友人のすばらしい手料理。この日は和食を作ってくれた。とっても幸せ~。ご馳走様でした!
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Solstice d'été # nouvelle lune # éveil

6月21日は、夏至に日食の新月が重なるスペシャルな日だった。一年で一番日が長くなる夏至は、太陽から降り注ぐエネルギーが最も活発になると言われるが、それに加えて、新月と日食が重なり、とてもパワフルなエネルギーを感じた。珍しく早起きして、6時頃、窓から朝日に映えるセーヌ川沿いを見ながら瞑想をし、夜22時頃にセーヌ川沿いに落ちる夕日を見ながら瞑想した。自然と宇宙からたくさんのエネルギーとメッセージをもらった気がする。(下の写真は夏至の日の夕日)

フランスで外出禁止が解かれて早くも1ヶ月半が経過し、パリも先週からかなり平常の生活に戻り、今週から学校も再開された。不安は残りながらも、フランスは封鎖前の日常に戻りつつある。日本も非常事態宣言が解かれて、すっかり普通の生活に戻っている人も少なくないと思う。
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私はと言うと、外出禁止の前も間も後も、あまり生活は変わってない。でも、この3ヶ月、外出禁止のおかげで、パリにいながら俗世間から離れ、自然と対話することができた。毎日、空を眺め、樹木を仰ぎ、草花を愛で、夕日を眺め、星を見つめては感動していた。心の赴くままに写真を撮って、レイキやヨガや瞑想をして自分と向き合い、心静かに過ごしていた。
すると、自然が喜び、地球の波動がどんどん上がっているのを感じるようになった。と同時に、自分の心も澄んでいき、自然と対峙していると、生きている幸せを無条件に感じて涙が出るほど、自分の波動も上がっているのを感じた。
そして、この期間中、私の中で大きな目覚めがあった。波動が上がるにつれて、地球が次元上昇を続けているこの大変化の時代に、なぜ私は生まれてきたのか、わかった気がしたのだ。
 
私は、今まで写真をやってきて、何が一番嬉しかったかと言うと、私の作品を見た人が、作品を通して、その人にとってとても大事な、でもいつの間にか忘れていたことを思い出したとか、自分の中で何か深い部分で気づきがあったとか言ってくれることだ。つまり、私は写真という表現を使って人に気づきを与えた時に、大きな幸せを感じていた。それは、私の使命が、人に目覚めるための気づきを与えることだからではないかと思った。
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父の命日の記事でも少し書いたが、私がどうして写真をやっているかというと、写真は私にとって光と愛を表現するものだからだ。では、なぜ光と愛を伝えたいのか。それは、私たちが光であり愛であるということを、みんなに知ってほしいから、いや、思い出してほしいからだ。私たちは、一人一人がすばらしい存在だということを忘れてしまっている。みんな心の奥に魂というダイヤモンドを持っているのに、それを肉体で覆って見えないようにして輝かせることを忘れ、忙しい日常という鎧を着て、しまいにはその存在自体をも忘れてしまっているのではないだろうか。

外出禁止が始まってから、私はブログで何度か「気づき」や「目覚め」について書いてきたが、何に対する目覚めなのか、ピンと来なかった人もいるかもしれない。私は、この世界規模の非常事態で、多くの人が今までの生活を見つめ直し、生き方を変えるなり、考え方を変えるなりして、本当に大切なことに気づき目覚めていくのではないかと大いに期待していた。が、日本は短期間の自粛だけで外出禁止もなかったし、経済的なダメージはあるものの個人レベルで大きな覚醒が起きた人は少ないような気がするが、実際はどうなのだろうか?

私の場合は、今回のコロナ騒動よりずっと前から、まず写真表現を通して、次にレイキと両親の闘病生活を通して、そして両親の死と今回の外出禁止を通して、少しづつ目覚めることができたような気がする。詳しくは、また追い追い書きていきたいと思う。アートは深い部分で気づきを与えることのできる素晴らしいツールだが、わかる人にしかわからないという難点があるので、これからは写真だけでなく、私の経験やレイキを通じて、スピリチュアルな面からも皆さんに気づきを与えるきっかけを作っていきたいと、この夏至+新月に際して、改めて思った次第です。

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2020/05/17 : 母の命日 # 父と母 # 愛と学び
2020/05/07 : 父の命日 # 写真 # 光と愛
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Anniversaire de la mort de ma mère

今日は母の命日。父が亡くなって、わずか10日後に母も旅立った。先にがんが見つかったのは母の方だった。がんを宣告された時は、普通の生活ができるのは半年くらいと言われたが、抗がん治療をしながら2年半も頑張ってくれた。母の発病から1年半後、父も別のがんが発覚した。母はショックを受けながらも、父より先には逝けないと言って気丈にも頑張っていた。

父が去年の2月に緊急入院した頃、母もかなり具合が悪かったが、気力だけでどうにか持ちこたえていた。が、4月末に母も入院せざるをえなくなった。父とは違う病院だったため、最後の10日間、父と母を会わせてあげれなかったのが本当に残念だったが、二人は毎日電話をかけあっていた。父が昏睡状態になってからも、母は電話口で父に向かって「お父さん、お手てつないでいっしょに行こうね」と言っていた。
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そして5月初め、一足先に父が旅立った。母はすでに息絶え絶えの状態だったので、父のお通夜にもお葬式にも出席できなかった。私は母に見せるために、無心で式の写真やビデオを撮った。母はぼんやりした意識の中でそれを見終わった後、静かに合掌し涙を流していた。その表情は仏様のように穏やかだった。思えば、あの時、母は自分も父の所に行くことを決意したのだろう。父の初七日が終わった翌日、母の容態は急変し昏睡状態に陥った。そして3日後、母も父の元へ旅立った。言っていた通り、父を初七日まで見送ってからの旅立ちだった。

両親の死というのは、本当に大きいものだ。でも、いわゆる深い悲しみのどん底というのとはちょっと違う。父と母はボケとつっこみの名コンビで、いつも私達を笑わせていた。父は最期の3ヶ月、母は最期の3週間は病院に入院していたが、それまでは治療をしながらも基本的に自宅で生活をしていたので、家族で貴重な時間をいっしょに過ごすことができた。闘病生活中も私達の家には笑いがあった。父と母のことを思うと、そんな思い出がよみがえってきて、つい笑ってしまい、幸せな気持ちで胸がいっぱいになるのだ。
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母の病気のおかげで、私の生き方は変わった。フランスから日本に年に2~3回帰省し、できるだけ多くの時間を父と母の傍で過ごした。今、両親が生きているということに心から感謝し、いつ消えてなくなるかもしれない、この貴重な「今」という時間を100%大事にしようと思った。そうやって母との一日一日、一瞬一瞬を精一杯過ごしていくうちに、私は先のことを心配せず「今を生きる」ことができるようになった。そして、生と死について真剣に考えるようになり、それまでほとんど知らなかったスピリチュアルや精神世界に興味を持つようになった。

とにかく母の病状を少しでもよくするために自分で何かできることはないかと思い、藁をもつかむ思いで始めたのがレイキだった。レイキは気功と似ているが、自分の気を使うのではなく、宇宙エネルギーを体に取り入れることで免疫力を向上させるヒーリング法だ。日本ではレイキはあまり知られていないし、宗教と勘違いされることもあるようだが、西洋では代替療法としてかなり認知されている。レイキのおかげで、もともと仲がよかった私達家族の絆はますます深まり、もちろん辛い時期もあったが、その何倍も、幸せで愛情に包まれた大切な時間を過ごした。IMG_0691
両親の2年半に渡る闘病生活と死を通して、私はとても一言では言い表せない大きな大きな学びをもらった。そこからしか学ぶことのできない、とても大切なこと。残された人にそれを託すために、人は死んでいくのかもしれない。そして、死は「ただ悲しいもの」ではなく、生と同じくらい「素晴らしい学びをもたらしてくれるもの」だということを教えてもらった。

お父さん、お母さん、たくさんの愛と学びをありがとう。


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Anniversaire de la mort de mon père # photographie # lumière et amour

今日は父の命日。ちょうど1年前の今日、愛する父はあの世へ旅立った。
1年ほど前からがんを患っていた父の容態が急に悪くなり、救急車で病院に運びこまれたのは、去年の2月。命は1週間も保障できない状態と言われ、私は大急ぎでパリから長崎に帰った。が、不思議なことに私が日本に帰ってから、父の容態は信じられないほどよくなった。それから5週間、私は毎日父の病院に通い、父との大切な時間を過ごした。家族のアルバムを見ながらたくさん話して、サザエさんの本を見ながらたくさん笑った。私にとって、かけがえのない宝物の時間だった。

でも、大きな写真サロンのポスター制作という大事な仕事を先延ばしにして、慌てて日本に帰ってきたため、どうしても一度パリに戻らなくてはならなかった。「仕事が終わったら、またすぐ戻ってくるからね。」そう言って長崎を後にした。絶対に人前で泣かない父がその時は涙を流していた。父とまともに話すことができたのは、それが最後だった。
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5月初め、パリでの仕事が終わり、長崎に帰る飛行機を取った翌日、再び父の容態が急変した。予約していた飛行機をキャンセルし、一刻も早く帰れる飛行機でパリから父の元へと急いだ。長崎がこんなに遠いと思ったことはない。私がたどり着いた時には、父はもう意識がなかった。それから3日ほど昏睡状態が続いた。

3日目の夜、父と二人きりになった時、聞こえているかどうかもわからない父のそばで、私は「もう一回お父さんと話したかったー」と泣きじゃくりながら、意識がある時には話したくても話せなかったことを、一方的にしゃべりまくった。そのうち、父は話せないだけで、私が言ってることは全部わかっていると感じた。そして、私達が父の死を受け入れる準備ができるまで、一生懸命頑張っているんだと思った。だから「お父さん、もういいよ。しんどかったね。もういいよ。」と言った。その数時間後に父は旅立った。
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父は私が写真家としてフランスで頑張っていることをとても喜んでくれていた。いつも謙虚で自慢をしない人だったが、ひそかに看護婦さんたちに私の自慢話をしていたらしい。父は若い時、当時はまだカメラを持っている人も少ない中、アマチュアながら写真をやっていた。母と出会って母を撮るために写真を始め、そして私達が生まれてからは私達の写真を撮り、我が家のアルバムには家族の思い出がたくさん詰まっている。だから、お通夜とお葬式の時にも、私たちの宝物であるこれらの写真をスライドで流したいと思い、寝ないでアルバムやパソコンから写真を選びスライドを作った。

その作業をしながら、私が写真家になったのは他でもない父の影響だということ、そしてどうして私が写真家になったのかがわかった。父は口数が少なく気持ちを表現するのが得意ではなかったが、父の撮った写真には、被写体に対する深い愛情が溢れている。そんな父の写真を見ながら育った私にとって、写真は愛情を表現するツールそのものなのだと改めて気づいた。
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私が写真を始めた1998年頃は、写真作品で評価を得ているアーティストは、だいたい人間の「闇」の部分をテーマにしていた。私の撮る写真は明らかにその動向に逆行していたが、平凡だと言われても、評価されなくても、私は私の写真を撮っていこうと心に決めた。そして、パリで初個展をした2013年頃から、私の作品を深い部分で理解してくれる人が少しずつ出てきた。思えば、その頃から「闇」にばかり焦点をあてていた写真界にも静かに「光」が差し込み始めていたのかもしれない。

今は、私にとっての写真とは、人とのつながりや愛情や感動を表現するもの、人間の「光」の部分を表現するものだと自信を持って言える。父から受け継いだ、この写真という「愛」の表現を通して、私はこれからも人々とつながっていきたいと思う。
お父さん、心から、ありがとう。


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Japon # prolongation de l'état d'urgence # éveil

日本の緊急事態宣言は延長されるようだ。いつも忙しく動き回っていた人も、GWに入って急に時間ができたという人も少なくないと思う。忙しいのに慣れてしまうと、暇になると却って不安を感じたり、やる”べき”ことがなくなると戸惑ったりする人もいるかもしれない。

私はちょうど15年前、日本の忙しい生活から抜け出すために仕事を辞めてフランスに渡った。最初の数年はフランス語をマスターするのに必死だったが、フランスの生活に慣れてくるにつれて、やる”べき”ことを自分に課しているのは他でもない自分自身であって、義務でやらなければならないことなど実は何もないということに気がついた。全ては自分の選択次第なのだ。フランスまで来て、日本にいた時と同じように、やる”べき”ことをしていても仕方がない。そこで、考えた。
「お金のために働く必要はないとしたら、私は何をしたいだろう?」
「どんな生き方でも可能だとしたら、私はどう生きたいだろう?」IMG_0556m
幸い、私には写真があった。日本で働いていた時に写真を始め、個展もするようになったが、果たして写真で食べていけるのか、ましてやアーティストとしてやっていけるのか、さっぱり見当もつかなかった。でも、一つだけはっきりしていたことは、私はとにかく写真が好きで、何があっても写真は一生やり続けるだろうということだった。好きなことは、多少の困難がふりかかってきても平気で乗り越えていける。だから私は決めた。とにかく好きなこと、やりたいことをやろう!と。

常に頭でごちゃごちゃ考えている私でも、写真を撮っている時だけは「無」になれる。最近、カメラを持って近所を散歩し、心に留まる草花や木々や空を撮ることに心から喜びを感じる。そして自然も喜んでいることを感じ、世界はいい方向に向かっていることを確信する。コロナは一つのきっかけでしかない。コロナ騒動が終わりさえすればそれでいいというわけではなく、コロナ騒動をどう捉え、今後どう生きていくかが問われている。この非常事態は、日本を必ずいい方向に導いてくれると私は思っている。
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戦後、日本の教育は、経済活動に貢献できる従順な人間を大量に作ってきた。お金を稼ぎ、物に囲まれた贅沢な暮らしをし、地位や名声を得ることが人生の成功であるように思い込まされてきた。経済活動の奴隷となり、消費社会の歯車としてひたすら走り続けてきた。結果、日本人は心のバランスを崩し、自分の頭で考えることをやめ、目に見えないものを信じないようになり、大切なものを見失ってしまった。でも、”見失った”だけで、”失った”わけじゃない!実はみんな、すばらしいものを持っているのにそのことを忘れてしまっていただけ。忘れるように催眠術をかけられていただけ。何度も言っているが、今こそ、この集団睡眠から目覚める時だ。自分が日本人として生まれてきた意味を知り、その高い精神性を呼び覚ます時が来ている。

今まで自分と向き合う時間がなかった人は、この機会に、自分が人生で本当にしたいこと、自分は何のために生まれてきたのか、考えてみてはどうだろう。これからは、お金のためではなく、自分のため、そして人のために生きていく世界になると思う。日本人が目覚めたら、必ず世界は大きく変わると思う。その新しい世界を私は心から楽しみにしている。
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